ムーブシロ

雑な思考

希死念慮

死を希望したからと言って、死を選べるとは限らない。それは勇気のいる行動だ。それは自暴した時の行動だ。

生命の規約と俺は呼んでいるが、生きているまで生きているというのは、生き物の肯定だ。自分を肯定するからこそ規約になるのである。

俺も詰まってるな。と感じるとふと、「みんなの記憶から無くなって粉のように元に戻らない風に流されるだけの存在になりたい。」って思う。でもそれも一時的なものだったりする。

人間は考える。ここまで行けば人間らしい生活だと言う。人間らしいとは何だろうか。結婚して子供がいてマイホームがある生活だろうか?それだけでは無いオプションが付いてるんだ。都会の綺麗なマイホームで、金をふんだんに使って作った冷製スープを飲んで、夜には高層のレストランで、イタリアンを2時間ほど嗜む。

決してマイホームなんざ甘いもんじゃない。妄想はいつまでも無いモノを想像する。

まずは生き物に立ち返れ。生き物は何だろう。生き物によっては土の中で暮らすヤツもいる。彼らはマイホームを購入するかどうか迷うだろうか?一緒にしてはいけないか?

まぁ人間も同じようなものだが、思考が付属してるので、考えてしまう。無理もない。

俺は生きているまで生きてる。自殺で死んじゃったらそれまでということだ。だがそれは規約違反だ。でも規約違反をしたからと言ってどうこうあるわけでもない。死人に口なしだが、人間の世界も酷い酷いと言いながらも、酷いことが自然だったりもする。

俺もいろんな人間からいろんなことを言われた。一人で決めすぎ。うつ病双極性障害社会不安障害など、どれも俺は間違ってると思って生きていたが、そう言われた時は少しホッとしたのも覚えてる。それは俺のせいじゃないなんて思えたからだ。それは医者も汲み取ったように思う。

だが、俺はすぐに否定した。俺はそんなヤワじゃねぇ。と。だがしばらくして俺はヤワで弱くて病気がちな人間だと認めた。そこから俺は全く働きもせず、木彫りの熊を掘るように音楽を作って寝ている。だって俺は弱いから。

でもそれもつかの間の三年。もう神戸へ行き働くことになる。働くと言っても俺は身構えたりしない。休みたかったら休む。迷惑かけて生きていく。

そりゃめんどうなヤツだ。音楽作って生きてきたんだから。