ムーブシロ

雑な思考

音楽的である

音楽について。

正月は音楽が流れている。人が笑ったり泣いたりするのだ。当然と言えば当然。聴いて歌って踊る。それが音楽である。作者は政治的や社会的な意味を込めて作るヤツもいるが、思い通りにとるかは自分の選択だ。それは社交ダンスや本と同じで、作者にノーと言っていい。パートナーにノーと言っていいのだ。服従がないのが自由ということを指していると言っていい。大衆が聴いてるモノはルールガチガチで全く自由ではないので、そもそも音楽という一般が自由かと言うかと言われればノーであるが。

マニアックなフリージャズやノイズは本当に旋律的自由であるが、それが万人の音楽かと言われれば違う。でもそれの中にもものすごく惹かれるモノがあるなら、それは臆することなく、色々な自由を楽しんでほしい。他人と共有するファッションでもいい。セックスの時にジャズをかけてもいいのだ。

俺個人が絶対に許せないのが、競い合いに使うことである。音楽大学にある早弾きコンクールや、ラップバトルや、コンサートの一員になるためにするビッグバンドのオーディションや、そういうことに使ってると、そのジャンルは腐る。実質綺麗に弾くということが誰も分かってない状態なのに、綺麗に弾くの定義を勝手に決めつけて大々的な印象にさせてしまってることに土下座して謝ってほしい。祖母にとって孫の弾くピアノが至高の音楽であり、綺麗で美しいモノなのだ。

音楽とはそういうことである。みんなでニコニコして踊ったりする。一人で泣いて落ち込む。決してポピュラー音楽がダメとは言ってない。スポーツみたいにはっきりとルールのないままに音楽を使うことに、自分はただ許せないのだ。