ムーブシロ

雑な思考

俺の思うセクハラ

あのポスターによれば自分は決める立場ではないらしいが、じゃあ一体誰が決めるのだろう。言われた人だろうか。言われた人の価値観で決めるなら、あまりにも不条理ではないだろうか。極論、足をずっと見ていた。と言われていきなり提訴なんてあるかもしれない。

セクハラが人によって違うなら、じゃあ全部に対応しましょう。なんて無理な話だ。テンプレの会話しかできない。まぁ職場恋愛なんてものは消えてなくなる。それでいいかもしれない。

でもセクハラは見過ごせないほど未完成だ。そしてこれからも完成することなんてない。誰も幸せではない。

議論がしたいなんて思わない。答えは絶対に出ないし、道徳の授業は嫌いだ。生まれながら倫理感の無いヤツを余計に苦しめるのが道徳だ。共感できる人間の欠陥とも言える。

誰も幸せではないの意味として、抑止力にはなるが冤罪を生むことになり、やってもやらなくても結果同じというとこに行くと思うからこそである。本当に苦しめられてる人間が黙ってろと言うわけではない。ただ、程度をわきまえなければならない。人間、生きてりゃ傷つく。生きてりゃ泣くこともある。色んなことがズレてるのがセクハラという言葉である。差別撤廃を!と言う人たちが、一番差別しているのと同じ。ズレてるのだ。日本はダイバーシティに一生ならないだろうと思う。

言ってなかったけどね

実はゲームをしている。無職にあるまじき行為だけど、家族に一人ゲーム好きがいて、任天堂スイッチを借りゼルダの伝説をしている。どちらも借り物だ。

しかし自分はハマりにハマって、一日中している。かっぱえびせんのようにやめられない。なんて美しいのだと、感動している。

自分は元々ゲーマーで、カードゲームだとか、ボードゲームだとかをしていた。今やってるものと言えば麻雀ぐらい。麻雀は楽しい。時を忘れるほどに面白い。

小さい頃は、ポケモンガンダムが主流だと思う。コロコロコミックをかじりつくように読んでた。ガンダムもツタヤにファーストのVHSを何回も借りては見てた。母にも、お前は何もかも繰り返し繰り返し見るような子供だった。と言われている。今も繰り返しをしている。単純に一回では覚えられないのだ。昔から記憶力が乏しい。

ルールやセオリーも実践しながら覚える。ルールブックみたいなモノはサッと見たりするが、覚えることはない。覚えれないから。

ゲームは好きだ。小さな小さな成功体験が迎えてくれるから。

 

 

考えない方法

物事が小さいうちから対処すべきというのは、理にかなっている。この世は大半が起こった後に処理をするのだが、本当に大きなことは抑止力に任せる方がいいとしている。それは自然の摂理でもあるのかもしれない。

考えないというのは、絶対に分からないこと。すなわち無駄なことだ。相手の顔色だけで気持ちを決めつけたりする癖がある。考えたくないのだが、嫌われてはないだろうかと、めんどくさいことを思ってしまうのだ。俺もそうは思いたくない。だから考えない方法を考えていた。

座禅してる時は、座禅をしてる自分を思い浮かべるというのは、ベーシックな思考なのかなと思う。それか、真っ白を思い浮かべて…素数を数えて…と次々に採用案が出てくるのだが、いざ実践すると、大きな壁となってしまう。究極のシンプルでないと、実践では使えない。実践では他のことを考えているからだ。

そしてその究極のシンプルが思いつかない。システマに鼻から吸って口から吐くというだけの方法があるのだが、それはもう考えない方法では無いのだ。ただ落ち着くだけなら良い。冷静な判断が出来るのもいい。言葉にするのが難しい。なんかフワフワしてきた。

まぁ根本な思考を変えていきたい。俺は働きたいし働きたくないし、みんなと笑いたいけど笑いたくない。マジでどっちも思ってる。どうしたらいいのか分からん。音楽が売れりゃ全て解決して寝て過ごしたい。あ、寝て過ごしたい方が働きたいよりデカイかもしれん。あ、でも実家から出て行く方がデカイかもしれん。

 

…分からんな。

お題

はてなにお題スロットがあり、それをポチポチと回していたら、時が過ぎてしまった。

そんで、ブログを始めたきっかけというのが出てきた。ブログを始めたのは、他人と関わってないからである。

友達とかではなく、赤の他人と関わってないから、赤の他人とのコミュニケーションがうまくとれなくなった。ニコニコとしててもあまり意味はないと知ってるけど、どうしても色んなことを思ってると疲れてしまうし、大体よく分からない方向に向かってしまう。

かといって、ブログがコミュニケーションとして意味を持つかと言われると違うかもしれない。コメントしてほしいなら、やはり自分からコメントしなくちゃね。勇気を出すのに時間がかかるのだ。ちょっとクールだから。

クールなのはいいけど、コミュニケーションしたいって言うのがやっぱ前提にあるからね。まぁ適当にやるよ。

飽きた

正直飽きてきたよね。最近はもう継続数とかいいかなと思ってます。あんまり言うことがない。

小さい頃はウルトラマンになりたくて必死だったけど、今は暇さえありゃサイボーグになりたいって言ってる。

あんまり変わらない?たしかに。

サイボーグになったらさ、働くの楽になりそうじゃんか。力仕事してさ、ラクーに暮らしてみたいね。それか脳だけ改造して、テキパキとホワイトカラーになってもいいな。

 

って今日は朝からずっと思いながら座ってたら日が暮れてた。悲しい爺さんみてぇだな。でも俺の尊敬する達磨大師のようで、素晴らしい一日だったかもしれない。

身体的な特徴には、大金持ちになるとか、幸運の持ち主だとか、天才とかそういうのがいっぱいあるシロです。手相は多分めちゃくちゃ良いと思います。でも、そんな中でいま合ってるのは性欲が強いだけです。主題に入ります。

俺は左利きで、矯正されたのはハサミだけ。ハサミを矯正してくれた親には感謝してる。ハサミまで左だと世界中ほとんどのハサミが使えないひどい事態になっていた。矯正してくれなかったら、多分自分で矯正してたかもしれない。

左利きで良かったことはあまり無い。総じて変人なので、たまに左利きに会うと変なヤツだなと思う。多分自分もそう思われてると思う。

勉強もスポーツもさほどのものだ。がっかり左利きである。

世には左利き萌えというものがあって、左利きに想いを寄せる人などがいる。だが、そんな人には会ったこともないし、聞いたこともない。なので都市伝説である(?)

ということで、左利きにメリットなどない。生きにくいだけである。俺が無意識にマイノリティーなのも左利きのせいにしたい。正直言って迷惑である。

その数ある身体的特徴の中で右曲がりのダンディーなのは、少し嬉しい。

 

不束者だが一つだけ。

芸術とはなんなの?と仰る方に俺の思う芸術の本質を教える。

あなたは平和主義である作者の作品をどう思う?風刺を誘って描き続けていたとしたらどう思う?作者は平和主義なんだと思うはずだ。

作品と作者はいつまでも切り離すことは出来ない。まず、本質はそこだ。変態だろうと変わることはないし、相手をコントロールしてはいけない。

相手には独自の芸術がある。殺してほしいと願う人が、殺してほしいと書いてしまえば、相手は誰かに殺してほしいのか?と思ってしまう。

複雑な芸術こそ、想いだけはシンプルだ。でも相手が思い通りに思う芸術は、何かが寂しい。

俺はそれが悪いこととは言わない。自分の思い通りに作品を描くことは、一種のゴールではあるが、ゴールテープを切れる者はいないのだ。切ってしまえば芸術から、要らないモノへとすぐ変わる。

相手の心を打つことだけが芸術ではない。よって様々な作品を書きたいのなら、相手をコントロールすることはやめることだ。

説教くさくなってしまい申し訳ない。だが、思いを伝えたければ、誤解され、中傷され、笑われることしかない芸術で、ニコニコとすべきだ。

芸術は何?という問いにシンプルに答えるなら、誤解と中傷と賛美である。